スポーツと政治―モスクワ・オリンピックを振り返る
代表取締役 河内信幸
サッカー・ワールドカップの決勝トーナメントが熱狂を帯びていますが、アメリカのトランプ大統領が自国の選手へのレッドカード判定に異論をはさみ、FIFA(国際サッカー連盟)のジャンニ・インファンティーノ会長に電話したことが大きな波紋を投げかけています。こうした米大統領の行動に対して、スポーツに政治が介入するのは好ましくないと、欧州サッカー連盟(UEFA)なども強く批判しています。
§モスクワ・オリンピックの開催§
スポーツと政治の関わりは古くて新しい問題であり、かつてオリンピックが国際政治に翻弄されたことを、皆さんはご存じでしょうか?古くは、1940年に開催予定だった東京オリンピックは、日中戦争の激化により、日本政府が自ら開催権を返上して中止されましたが、1980年のモスクワ・オリンピック(第22回夏季オリンピック)は、開催はされたものの、結果として60カ国以上が参加を見送り、80ほどの国と地域のみの参加に留まる異例の大会となりました。
1980年のオリンピックは、7月19日から8月3日までの16日間、ソビエト連邦(現・ロシア)の首都モスクワで開催された、東側諸国(共産圏)初の夏季五輪大会です。スポーツの国際大会が大好きな私は、マスコット・キャラクターの「こぐまのミーシャ」などが強く印象に残っていますが、世界中でボイコット問題が噴出し、政治とスポーツの関係がクローズアップされる事態となりました。
§モスクワ・オリンピックのボイコット§
ソ連は、1952年のヘルシンキ・オリンピックに初めて参加し、トップ選手の金メダル獲得を国威発揚に利用してきており、その集大成として、ソ連はモスクワ・オリンピックに大きな期待をかけてきました。しかし、1979年12月にソ連がアフガニスタンへ侵攻すると、西側諸国を中心に国際世論は集団ボイコットの声を高めました。
いち早く、アメリカのカーター大統領はソ連のアフガニスタン侵攻に激しく抗議し、自国の五輪参加を拒否するとともに、西側諸国へボイコットを強く呼びかけました。日本政府もアメリカのこの方針に追随し、日本オリンピック委員会(JOC)も不参加を決定したため、日本代表選手団の派遣は見送られました。その結果、五輪代表に決まっていた選手の多くが涙を流しました。
§スポーツは政治の道具ではない§
モスクワ・オリンピックは、スポーツが東西対立の道具とされた、「新冷戦」時代を象徴する愚行とも言われています。しかし、スポーツに覆いかぶさる政治の影はなかなか払拭できず、次の1984年のロサンゼルス・オリンピックはソ連及び東欧諸国がボイコットしました。それは、モスクワ五輪のボイコットに対抗し、カリブ海の島国グレナダで起きたクーデターに対するアメリカ軍侵攻へ抗議するという理由からでした。
(2026年7月8日)